何かを辞めてもまた立ち上がればいい。

昨日、「写真家を辞めます。」というブログを書いた。

 

このブログは瞬く間にシェアされ、現在はてなブックマークがおもくそ荒れている。

ちなみに、アクセス数はこんな感じ。なかなかの人たちに読まれている。

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ぼくは写真家だけでなく、これまでたくさんのことを辞めてきた。

大学は中退しているし、服飾の専門学校も中退しているし、仕事も10個以上転々としているし、「渋谷区の政治家になる!」と宣言して選挙3ヶ月前に逃げるし、「ラッパーになる!」と言って2ヶ月で辞めるし。

 

思い切って連ねてみたけれど、本当に多くのことを辞めてきた。

 

この経験を踏まえて伝えるけれど。

世の中には、何かを辞めた時(とりわけ仕事や学校を辞める時)に人生が終わるような感覚になる人がたくさんいるけど、特にそんなことは無い。

仕事を辞めてもまた自分に合った仕事を探せばいいし、大学を辞めても深刻な学歴差別に遭遇することもない。(大学に行ってなくとも自分の見せ方を工夫すれば、それなりの企業に就職できるのが今の時代だとおもう。)

 

今までぼくが何かを辞めてきたのは、辞めなければ自分が死んじゃうような感覚があったからだ。

大学を辞めようと思った時も、「このまま学生でいては自分の自我がどんどん死ぬかもしれない」という感覚になった。(大学時代の友人たちはみなさん素敵な人たちだった。大学という環境の問題です)

今までの仕事もラッパーの時も全部そう。

 

興味を持ってやってみるモノの自分の想像したモノとは違うというのがよくある。

何事もやってみないとやはり分からない。

ブログは自分にフィットしていたのか今だにずっと続いている。

 

ぼくはたしかにたくさんのことを辞めてきた。

しかし、何かを辞めても死にはしない。

「それでも生きていかないといけない」という現実が目の前に立ちはだかるだけだ。

そして、辞めてもまた立ち上がって新しいことを始めればいい。

今の日本で路頭に迷うことは早々ないから。

 

辞めることを伝えるのも、ぼくのようにブログで発信するのもたしかに恥ずかしい行為だ。

しかし、辞めたという行為自体は何ら恥じることではない。

むしろ、すごく勇気のある行動だ。

 

ぼくは今まで辞めてきたことにほとんど後悔していないし、それ自体を恥じていない。

 

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ミヤハヤ