ミヤハヤは「化石」のようなアートを目指す。
子供の頃、博物館で恐竜の化石を観た時、「これは何千万年も昔に生きてた動物の骨なのか」と小さいながらにロマンを感じたモノだ。
ぼくが美術館で先人たちの描いたアートを観るのが好きなのも、私服が古着ばかりなのも、ビンテージデニムに憧れを感じるのも、小さい頃に感じたロマンが原体験にあると思っている。
ぼくはそのモノ自体に「歴史」が乗っていることに価値を感じるのだ。
最近、ビンテージのルイヴィトンのトランクバッグを思い切って購入した。(店員さん曰く20年前のモノらしい)
このバッグを絵の具入れにしようと思ったのだ。
おそらくだけど、ほとんどの人はルイヴィトンの新品の方に価値を感じるのではないか。
しかし、ぼくはこの20年も昔の古びたバッグに魅力を感じている。
20年もの時間が経っているからこそ出来てしまう汚れや傷、醸し出てくる味。
自分にとってはそれがとてもセクシーなのだ。
仮に、同じ値段で新品とビンテージどちらを選ぶ?と問われたら、瞬時に後者をぼくは選ぶ。
それ位にビンテーシに価値を感じている。
そして、自分の描くアートもこのバッグのように20年以上飾っもらえるようなアートで在りたいとおもうし、もっと理想を言えば、ルーブル美術館に飾られている絵画のように何百年もの間ずっと展示され続けたい。
そして、「もはやこのアートは「化石」だ」と思われるようになりたい。
それがぼくの目標だ。
ほとんどの製品は年を重ねれば重ねるほど古びてしまい、価値を落としてしまう。
しかし、アートは年を重ねれば重ねるほど味が出てきて、価値が上がるモノさえある。
それが芸術の素晴らしさなのだ。
ぼくのアートが今から5年、10年経った時、きっと今よりずっとセクシーになっていると思う。
いや、ぼくはそう信じている。
ミヤハヤ