人格は収入に比例するのではなく、『お金の使い方』に比例する

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「社会貢献したいならお金持ちになりなさい」

 

20代の中盤くらいにそんなことをあるお金持ちに言われてすごく違和感を覚えた。

 

それからもうかなりの時間が過ぎたが、ぼくは全然お金持ちになっていない。

というか、ビジネスな思考がどうしても自分に向かず、ついには画家になってしまった。

しかも、今はアルバイトをしながら生きていて、32歳の生き方としては世間的には恥ずかしいものだ。

 

しかし、それなりの年齢になって分かったことがある。

それはたとえお金持ちでも社会貢献する人はするし、しない人はしない。

たとえお金持ちでなくとも社会貢献する人はするし、しない人はしない。

という当たり前なこと。

 

今になって冒頭の言葉を再び思い出し、こう思う。

「社会貢献するのに収入の量はやっぱ関係無いじゃん!!!!」と。

さも、「お金持ちにならないと社会貢献なんてしちゃいけないんだよ。お金持ちはみんな社会貢献してるからね。」的な言い方をどうしてしたのだろう。

(お金持ちは納税という意味で社会貢献しているのは分かります)

一番嫌だったのは、お金持ち=人格の優れた人という偏ったイメージを植え付けようとしたことだ。

 

きっと世間の人の多くも、この集団催眠にあっている。

断言するけれど、お金持ちでも人格の優れた人はとても優れているし、性根が腐っている人は腐っている。

そして、これはお金持ちでない人も同じだ。

 

ぼくはホームレスのウエダさんという素晴らしい方に出会い、教えてもらった。

「人格は収入に比例するのではなく、『お金の使い方』に比例する」ということを。

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そして、ウエダさんに出会ってぼくは気付かされたんだ。

ぼくはお金持ちになりたいというより、人格の素敵な人間になりたいのだと。

だから、お金持ちでない今の状態でも自分のできる範囲で社会にプラスになることにお金を使っていきたいし、お金持ちになったらなったで自分のできる範囲で社会にプラスになることにお金を使っていきたい。

 

先月、中学時代の恩師に食事をご馳走になった。

その時に恩師の奥様が毎月ユニセフに2000円の寄付をしていることを知った。

ぼくはそんなお金の使い方を素晴らしいと思うし、好きだ。

 

2000円を少額と思う人ももしかしたら、いるかもしれない。

しかし、それが100人、1000人と集まればかなりの金額になり、生きていくことに困った誰かが救われたり、NPO団体の活動が維持できたりする。

2000円で救われる誰かがいるのだ

 

お金持ちでないと社会貢献しちゃいけない社会なんて寂しい。

そんなの間違っている。

 

社会貢献したい人は、収入の量を気にせずに自分のできる範囲ですればいい。

ぼくはこれからも自分がイイと思ったことにお金を使う。

それがやさしい世界を作る小さな一歩になると信じて。

 

 

ミヤハヤ